父濱保光男の再婚

5/1/2023新版

父濱保光男の再婚(5/1/23新版)

⑴ 筆者濱保泰介も、現在、父の享年を二十歳以上越えた歳になり、いわば人生の先達としての気持ちになって、子ども時代の認識を越えて父の再婚を評価してみた。
⑵ 先妻の子どもたちは、後妻に対しては、ずっと、父のために後妻に入って頂いた方として大変感謝するとともにリスペクトの気持ちを抱いていた。
⑶ 泰介は、そういう気持ちは今も変わりないが、父の五十回忌を期して英樹とも再会できてようやく、あの時代を振り返って見なければならない気持ちになりすべての資料を読み直してみて、また、新しく英樹から提供された事実も加味して、父が辿った道程を再構成して見た。
⑷ これは、現在確認できる事実から洞察してみた泰介の評価であって、特定の偏ったイメージの元に牽強付会に事実を解釈したのではなく、ニュートラルな立場で解釈したものである。従ってまた新しい事実が分かったときには評価が変更されるべきものである。
⑸ 父は、子どもたちの敬愛の対象であって、誰よりも優しくて、親切で、賢くて、子どもに教えることが上手で、府中の両親や兄を敬愛し、妹を可愛がり、誰にも自慢できる良き「お父ちゃん」であった。
⑹ そういう父のイメージが今まで頭の中にあって、それが再婚後の父の言動を振り返ることを妨げていたとも言える。
⑺ 子どもたちも今では、父を越える高齢者になったので、ただ純粋で素直だった子ども時代には見えなかった見方が出来るようになったはずである。
⑻ 父は再婚で妻を得たが、子どもは母を得られなかった。
⑼ 人の心は見えないが行動から心は推察できる。それで、前章の後妻と子どもたちとの養子縁組を行わなかったという行動から、父には、自分は妻を得るが子には母を与えないという意思が見える。
⑽ 子どもたちの世話を放棄した再婚だった。
⑾ 再婚夫婦は、その結果、同じ家に住む息子にも食事・掃除・洗濯などの身の周りの世話もしなかった。子どもたちは前もってそれを知らされていたならまだしも、子どもたちは婚礼・新婚旅行から帰った再婚夫婦を出迎えたその日から親の世話から見放されたのであった。
⑿ そもそも女性が妻と死別した子持ち男性との結婚を考える場合には、最初に女性の側から子どもたちに会ってみて、先ず自分との生活が出来るかどうか、また家族生活の希望を聞くなどして、事前に相性を確認することが常識だろうと思うが、それが今回の再婚ではまったく顧みられなかったのは、女性側に子どもの面倒を見ない約束があったので、子どもに会い辛かったからであろう。
⒀ また今回は、後妻が先妻の霊を弔わないという、凡そ日本の習俗から言って異例な再婚となった。後妻は先妻の死去によって初めてその男性と所帯が持てるようになるので、後妻は先妻の霊を篤く弔うのが日本人の習いであるが、そういう意味で今回の再婚は常識外れの再婚であった。
⒁ 親戚付き合いを拒絶した再婚だった。
⒂ 再婚夫婦は、子どもたちの世話をしない、先妻の霊を弔わないという選択をした結果、次には親戚付き合いを絶つという選択となってしまった。先妻の死以来、晃夫・壽之は稲本家が、泰介は宇一夫婦が、ともに無償で世話をしてくれた。それは孫や甥を哀れに思う慈愛の気持ちからであったが、そこには、近く父が後妻を娶って継母が来るまでは面倒を見てあげるという気持ちがあったはずである。
⒃ 父の再婚は、その期待を裏切ったばかりか、子どもたちと養子縁組を行わないという選択は、自分たち再婚夫婦は子どもの面倒を見ないけれど、稲本家と宇一夫婦は引き続き子どもたちの面倒を見ろという選択であったので、親戚たちは、実の親なのに子どもたちの面倒を見ないとはどういうことかと呆れ憤慨したであろう。
⒄ 再婚夫婦は、親戚に対して親戚付き合いを拒絶したも同然だったが、同様の行動は新婚夫婦の府中本家での振る舞いや、先妻の供養をしない行動や、光男を最も愛した祖父が濱保家の危機を感じて剛叔父に背負われて急遽堺にやって来た事件を引き起こしたことにも現れている。その結果、府中濱保家との親戚付き合いは絶えたに等しいし、稲本家の祖母や叔母が、娘や妹の霊を祀らないで子どもたちの面倒も見ない再婚夫婦に対して親戚付き合いを断つのも当然であろう。宇一は弟の光男を愛していたので、親戚付き合いを絶つことはなかったが、宇一夫婦から再婚夫婦へ様子を尋ねたり安否を伺うなどの働きかけは無くなった。
⒅ このように親戚間の亀裂を生んだ責任は、ひとえに再婚夫婦側にあって、決して親戚側が望んだことではない。
⒆ 子どもと親戚が希望した再婚とは違った。
⒇ 子どもたちや親戚が希望した再婚相手とは、失われていた家族の中心になって、明るい家庭を作ってくれる妻であり母でもある人で、そういう人であれば、年上でも年下でも、連れ子が居ても居なくてもどちらでも良かった。
21 しかし、父が選んだ再婚相手は、そのどれにも当たらない相手だった。父の再婚の目的は、自分の為であっても、子どもたちの為でも濱保家の為でもなかったが、その行為は、それまでの子ども思いの父からして考えられないことであった。 
22 事業の行き詰まりが原因か。
23 光男は、何故そういうふうに人が変わってしまったのだろうかと疑問に思うものだが、もしかしたら、自分の健康状態を知っていて死を近く意識したからかも知れないし、また、母が病死する前から父の事業が上手く行っているように感じたことがなかったので、事業が行き詰まっているからかも知れない。
24 では何故、事業が行き詰まったのかと言うと、結局は、光男には社長業には向いていなかったからではないかと思うものである。旧制高校や帝国大学のブランドが世の中に通用するのは学生時代までであって、学外に出れば帝大卒を鼻に掛けては中学卒の社員も上手く使えるものではないだろう。エリートで社長職が務まるのは大企業のサラリーマンだけであって、中小企業ではむしろエリートは邪魔になるか無用であって、そこでは自分の商才と実力のみが力となるが、その例を如実に示したのが宇一伯父の活躍と出世である。
25 泰介は、高田荘平叔父の死後の2010年に、元子叔母に頼まれて九州帝大時代の光男・高田双方の学友である麻生忠二九大名誉教授(※九州麻生財閥の末裔で麻生太郎元首相の叔父。戦後の九州大学で応用化学の教授になったが特別に学問に秀でていたというより一族に資金力があったので食べるために稼がなくとも研究に打ち込めたことも大きい。因みに父光男は一刻も早く稼がなければ生きていけなかったので実業界に入った。麻生財閥のエピソードでは戦時中は理科系の学生には学徒動員は無かったので帝大生も何かお国の為に役に立たねばならないと思い立ってあるとき高田叔父を初め学生たちが学友の麻生先生に頼んで麻生炭鉱で石炭を掘ってやろうと息巻いたのだが一度地下深く降りてツルハシを握って石炭を掘る作業をしたら途轍もなく過酷で危険な重労働だったので皆んな命からがらにもう二度とやるまいと思ったそうである。理屈ばかりの帝大生とは如何に戦争の現場では役に立たないかを示す実例であるが、それは一般人でも同じで軍隊に入営して受ける軍事訓練で情け容赦なく鋼鉄のように鍛え上げられて初めて上官の号令一下で一糸乱れぬ軍隊行動が取れる兵隊になるのであろう。また、その他に麻生先生が語ってくれた面白い話では、戦時中に九大でも何処の大学でも、国からの指令で秘密兵器の開発を行っていたそうだが、九大では日本初のロケット戦闘機の開発に力を注いでいたが、同じくロケット爆弾も開発していて毒マスクしないで実験中の高田の叔父が次亜塩素酸ソーダで中毒しそうになったこともあって大変危険な実験だった。結局ロケット爆弾の開発は間に合わず手榴弾の製造になった。こうした秘密兵器の実験には大学入学後すぐ参加させられたて授業もあったが戦時下の大学では兵器の開発が優先であった。こうした兵器の開発が戦争の勝敗を左右したし日本邦人の戦死者や犠牲を食い止める力となるはずだった。この話を聞いて、泰介は自分の大学生活も同じように戦時下であったことを思い出した。当時世の中はまだ学園紛争下だったが立命館では共産党員は毎日朝8時半に学部支部ごとに結集して機関紙赤旗の読み合わせからスタートした。その後は授業の前にビラを配ったり演説をして教授が来たら退散して、授業に出るのではなくて学内のオルグか外部に出て組織の拡大を行ったので、授業には初回の講義で教授の顔を覚えて最終講義で試験範囲を聞くだけだったがそれでもちゃんと卒業出来たので戦時の馬鹿力とは大きいものである。党員は夜には再度集まって成果を集計して総括するので学生が居なくなっても学内から帰れなかった。こういう生活は夏期休暇の一週間を除き連日行われ、自由気ままな学生時代のイメージとは異なる正に新兵の軍事訓練そのものだった)に挨拶に伺った時に、光男に就いて、生き馬の目を抜く大阪でよく商売を始めたものだと語った。これは、麻生先生たち学友も光男の商才を認めていなかったということであろう。結局、光男に向いていた職業はサラリーマンか教育者ではなかっただろうか。泰介は九州訪問の最後に九州大学工学部の広いキャンパスに立ち寄って父光男や高田の叔父が学生時代にこのキャンパスを歩いて学んでいたのだと当時を偲んでみた。大学の外に出て近くの箱崎の街並みを歩いたが当時の学生街の匂いが残っていて父光男もこの風景を見ていたのだと思った。 
26 光男は、実は、好き好んで事業に乗り出した訳ではなかった。晃夫から聞いた話では、光男は大学卒業後に参天堂製薬(現参天製薬)に就職したが、会社の都合で退職する事態となり、退職後に光男が会社設立する運びになった。そういう経緯もあって参天製薬の藤田氏はその後光男や家族の何かと世話を焼いてくれた。もし、光男がずっと大手企業のサラリーマンで居たなら妻子にも満足な住宅と教育環境を与えてやる事が出来たのではないか。社長業は確かに羽振りが良いときもあるが、それは十年に一回くらいで後は辛抱とストレスに耐える毎日でそういう不遇な時代を耐えて生き残った者だけが成功者になる資格がある。新設法人で10年間存在する確率は一説によると10%から25%だというがそれ以外の法人は何らかの事情で脱落している。そういう厳しいビジネス環境で生き抜く社長には家内の内助の功が欠かせないのであるが、母にはそんな心構えがあろう筈がない。生まれて来てそんな家庭環境は知らず、そのように育てられたこともなかったのである。してみると父光男にだけ失敗の責任を負わせることは酷であるのかも知れない。
27 再婚者と婚約するまでの不透明さ。
28 光男は、再婚者と婚約したがその経過に不透明さがある。この縁談は、いったい何時、誰から話が持ち込まれて、その後どのような経過で決まったのか。何故、子どもたちや親戚に何も相談しないで黙って光男独りで決めたのか。子どもたちや親戚に知られたらまずいことでもあって、隠しておきたいことがあったのか。もしそうでなければ秘密にしておく理由はないであろう。
29 父は、何故、子どもを世話しない、先妻を祀らない、親戚付き合いしないというような親戚を敵に回すような再婚を選んだのか。それはやがて自分を窮地に追い込むことは知れているのに狂気の沙汰とも思えるが、光男の二年余りの気まぐれのために子どもたちも濱保家も大変迷惑したのである。
30 何故、嘘を吐いてまで結婚に至ったのだろうか。
31 父は、再婚する時に嘘があって、それは健康、事業、財産である。
32 しかし、そんな嘘は直ぐにばれてしまうものであり、事実、それらは結婚生活を始めて程なくして、後妻にばれてしまっているはずである。
33 しかしながら、そんな直ぐにばれるような嘘を平気で吐いてしまうような愚かな父ではない。それは、親も子どもも親戚も誰でも認めることであろう。
34 どうもこの辺には、父が誰にも明かさないで仕組んだ訳がありそうに思える。この時期に、父に何かそういう事情があったのだろうか。この時期には、何か父に特別な弱みがあったからだとしか考えられない。
35 では、それは何だろうか。今までの推察では、父は七年間も独身生活を続けて来て、しかもほとんど酒浸りの生活を送り、自分の健康に自信が持てなくなって、死を意識し始めた結果、父が仕掛けた人生最後の我が儘だったという認識だったが、いや待てよ、父は果たしてそんなことをやるような浅薄な人間だっただろうかという疑問がどうしても残るのであるがそれは至極真っ当な疑問である。
36 それで、下記で父と後妻の行動の謎を解明する泰介の仮説を述べてみる。
37 後妻の不可解な行動の疑問。
38 では、次に疑問に思うのは後妻の結婚時の不可解とも思われる対応で、婚約に至った経過が不透明で謎が残るが、後妻の結婚の目的は何だったのだろうか。
39 縁談を持ち込んだのは、誰か九大人脈の方からだと聞いたが未確認である。そして、この縁談に、後妻が結婚を決めた理由は、子どもたちは既に大きいので面倒は見なくても良いし、何億円かの資産があるから玉の輿だという話だったと後で聞いたが、誰がそんなことを言ったのか未確認である。
40 しかし、ここで敢えて疑問だと言うのは、独身女性にとって結婚という一生を左右する大事な話を、そんな紹介者の話だけで決めても良いものなのかということである。有竹家が武家の家系というなら、縁談も立派な戦であるので勝たなければ意味がないと思うものだが、ちゃんと相手の調査をしたのだろうか。
41 上記に挙げた三項目ならば、興信所に頼めば簡単な調査で分かる筈なので、もし調べた上で婚約に至ったと言うならば、その責任は婚約を決めた側にあり、また、もし調べずに婚約に至ったのなら、同じくその責任は調べなかった側にある。つまり、何れにしても婚約を決めた後妻側に責任があることになる。
42 ここで更に疑問に思うのは、もし後妻がちゃんと光男について調べたならば、必ずマイナスの調査結果が出たであろうに、それでも結婚したのは何故なのか。また、もし調べなかった場合に、調べずに結婚したのは何故かということである。
43 もし、この時点で婚約を破棄していれば、その後に起きた色々面倒な事態には至らなかった筈である(※この場合には英樹は生まれていない)。この時に父と後妻の二人の間に何があったのか知りたいが、論理を越えた何か事情があったのかも知れない(不明)。
44 恐らく、父の方にも弱みがあり、後妻の方にも弱みがあるので、両者の妥協の産物かも知れないが、それは二人以外には窺い知れないことである。
45 しかも、この辺りの事情を知る人間がすべて鬼籍に入って居るので、聞いて調べることが出来ないが、元々濱保家側には父しか再婚の経過を知る者が居ないので、尚更知ることが難しい。
46 以上は結婚に至るまでの疑問であるが、父の死以降の後妻の言動にも幾つかの不可思議な点が残る。そこで、下記で一つの仮説を立てて考察してみる。
47 泰介の立てた仮説の考察、或いは新説の試みは以下のとおり。
48 父の再婚と相続に関する謎を一つの仮説を立てて考察してみる。ただし、これは飽くまでも泰介の仮説であって、それを裏付ける事実は今のところない(※後になって英樹が後妻はやはり自分の蓄えから引き出して光男を助けていたことを教えてくれたのでこの事実の一部が明らかになった)。
49 男やもめが、独身生活が長かったから新しい妻を求めるのは、人間なら自然な欲求に思えるが、しかし、父はただそれだけで子どもも親戚も捨ててしまうほど愚かな人間ではないことは、凡そ父を知る誰もが認めるところである。
50 それでは、当時の父には、その時に何か特別の弱みがあったのだろうか。ただ新しい嫁を迎えるために親戚に嘘を吐いてまで再婚したとは考え難いし、如何に光男の頭がその時トチ狂っていたとしても余りに不自然である。
51 してみると、他にもっと大きな、深刻な理由があったとしか考えられない。では、それは何だろうか。
52 この辺りの事情は、事業をやっている泰介だから気が付くことでもあるが、事業家にとって日々の事業は地獄である。その地獄とは永遠に続く資金繰りの苦しみであると言って良い。原材料の仕入れで支払った手形が落とせなかったら倒産に至るが、その日の手形を落とせても、別の決済日が次々と巡って来る。製品を製造してもその製品が売れなければ手元金が足りなくて黒字倒産にも至るし、上手く売れてもその売上金が決済されるのは何ヶ月か先である。それで銀行借入したくとも、会社の一定額以上の定期預金でもあれば別だが、それがなければ光男が使える担保は川原町の不動産だけである。しかし、社員はそんな社長の苦しみなどは社長の心配事であって、毎月の給料日には当然の如く給料を要求するのである。
53 そこで父が再婚相手に期待したのは、何十年も大企業で働いてきた独身女性であれば恐らく十分な貯金を蓄えているに違いないという期待であろう。結婚によってその預金が使えるようになれば誰にとってもあり難いことだ。ただ単に、性格が良くて家族の面倒を良く見てくれる優しい女性であっても、その女性に資産がなかったら再婚相手として魅力があるとは思えないかも知れない。
54 このようなことは事業家であれば必ず考えることでそれが悪とは言えない。中年同士の結婚では互いに相手の損得を探り合うのはむしろ自然のことである。
55 それで父は、この縁談を資金繰りの為に利用したのではなかろうか。仮にもしそうだとすれば、これまでの光男の不自然な言動にもある程度辻褄が合う。
56 しかしそれは、結婚詐欺と思われるかも知れないが、それには結婚前に相手の持っている資産内容を良く知っていたのかとか、欺した被害があること、そして前提としての欺す意思の存在が不可避となるが、そういう事実は確認出来ない。
57 父は、正式な結婚をして正妻として迎えているし、妻の財産を持ち逃げしたという事実はないし、借用して他に流用したという事実も知らない。また、約束どおり、再婚家庭から息子と先妻を取り除いて、後妻の望んだ家庭を作っている。宇一伯父が作成した遺産分割協議の書類を見ても、光男の借金はすべて宇一伯父が提供した資金によって完済されたと報告されている。
58 それで、ここでもう一つ別の仮説を立ててみる。もし、光男の相続時の借金の中に、相続計算に記録されていない借金があって、それが後に相続金として(その一部かも知れないが)返済されたので大事には至らなかったが、そのために他人には明かにされずにいる借金があったとしたらどうだろうか。
59 この状況証拠として、泰介が宇一伯父が作成した遺産相続の書類中の右上の囲み部分に、「借金返済額(延岡へ)50万円」とあるのを発見したからである。何となく見逃してしまうただの一行の記載であるが、これには大きな意味がある。即ち、この記載は、延岡(実家の姉)から50万円借入したと言う事実を示しているのだが、しかし、見逃してはならないのは、普通であれば自分の家の恥になるので後妻は夫の借金を実家の姉に頼むことはしないはずである。それにも関わらず、恥を承知で後妻が実家の姉に借金を頼んだのには何か余程の事情があったということではないか。それは、既に光男には後妻からの借金があったと言うこことと、更にこの時には後妻の手元には持ち合わせの現金が尽きていたということを表しているのではないか。
60 後妻は、後に宇一伯父との遺産の話し合いの時に、延岡からの借金の事実を言ったので、宇一伯父は遺産目録の中にこの金額を記入したと思われる。その時に後妻は宇一伯父に自分の分は良いので延岡の分は認めて欲しいと言ったのか、或いは、自分の貸付金を返却して欲しいと言ったのかは不明である。通常は夫婦間の貸し借りは相続遺産には評価されないものであるが、そうならば、後に、後妻が濱保家は冷たいと言った訳にも思い当たる気もするし、宇一伯父が三人の子どもたちに現金遺産はすべて後妻親子に譲るように言った訳も理解できる。
61 光男は、このように、このときに既に、後妻から限度まで借金していたので後妻はやむなく延岡に借金の依頼をしたという仮説を立ててみると辻褄が合う。
62 更に、この仮説を援用すると、後妻は、光男への理解と愛情があったので、光男の借金の依頼を拒まないで、光男に積極的に協力したということになる。もし、後妻が光男を疑っていたり憎んでいたら協力しない筈である。
63 そうすると、父の遺産分割時と、その後における後妻の不可思議な一連の言動が合理的に理解される。もし遺産でもらった金額が、自分の貸付金の返済であれば、単純に光男にも宇一伯父にも感謝する気持ちにはなれない筈である。
64 また、そのように仮定すれば、これまでの認識のように、宇一伯父の特別の計らいのお陰で、光男の借金が返済出来て、社員への退職金を支払えて、残った資産を遺産として遺族が受け取ることが出来たので感謝しなければならないなどと言って済ます訳には行かず、光男と後妻の間で本当は何があったのかを知らないと、後妻が果たして遺産を受け取ったのかどうかさえも明言出来なくなる。
65 更に、後妻は濱保家の墓に入らないし、濱保家は冷たいと言って親戚付き合いもしないし、英樹に対して自分は妾のようだったと語ったり、英樹には兄弟は居ないと嘘を言って育てて、英樹を濱保家でなくて有竹家の人間として育てたという、凡そ身分が高くて格式がある有竹家の子女の行動とは思えないこれまでの全ての誤解も解けるし、その行動に至った理由が理解できる。
66 実は、後妻は、身分が高くて格式のある武家の心掛けがあったからこそ、光男の恥を敢えて外に語らずに、黙って死んで行ったのではないだろうか。それは実に立派な生き様である。
67 次に、もしこの仮説のとおりならば、光男の側に話を戻すと、これまで事実に基づいてではあるが、光男の落ち度ばかりを書いて来たが、果たして光男はそんな情けない男であったかのという認識にも一定の光りが当てられる。
68 このままでは、上記で述べたとおり、光男は、後妻から夫としての人格を否定され(墓に入らない)、濱保家の家門を軽んじられ(目的は遺産だけ)、家名を貶められ(息子の英樹は有竹家として育てられた)、その英樹からは敬愛されない(父は後妻を妾同然に扱ったと言われた)という惨めな男と思われるが、本当に光男は墓場で先祖に顔向けできないような恥ずかしい男だったのか。このままでは、光男も後妻も、まるで人非人と思われて浮かばれないだろう。
69 この場合にも、仮説のパラメーターを使うと、一応、子どもにも親戚にもスッキリ納得できる答えが出る。
70 即ち、光男には人を欺したり偽ったりするような邪悪な人格は微塵もない。それは幼いときから父を育てた両親を初め兄妹や故郷の竹馬の友や進学先の学友が最も知るところである。また聡明で、律儀で、親切で、優しく、誠実で、善き心を持っていることは光男を知る誰もが認めるところである。恐らくは後妻にもそれが分かった真実があるので進んで光男に協力したのだろう。
71 その光男が企てた計画とは、自分が作った会社事業の危機は、子どもにも親戚にも迷惑を掛けないで自分一人で解決するので、そのために、ひと先ず後妻の資金を借りて解決したならば、その恩を後妻に返した上で、力になってくれた後妻と家族を豊かにしてあげて幸せな生活を実現させてみせると、ロマンチストの光男のことなのでそこまで計画したに違いない。
72 その計画の実行途上で府中の両親や妹夫婦にも誤解を与えてしまったり、親戚にも不義理をしたが、光男は決してそんな邪悪なことを企んだのではなくて(※子は親の遺伝子を受け継いで生まれて親を見て育つのでそんな子どもが一人も居ないことがその証明であろう)「そんなことを俺がする訳がないことくらいは分かってくれよ」と父は悔しかったであろう。しかしながら不覚にも課題を実現してやっぱり光男だと皆に言わせてやる前に命が尽きてしまったのであろう。
73 子どもと養子縁組をしなかったのも、もしそうなれば子どもたちに生涯にわたり養母の扶養義務が生じるので、子どもたちに余計な負担を掛けたくなかったからだろうし、先妻を祀らないのも、それは大きな目的のための小さな方便であったに違いない。その目的を達成しないうちにはどんな幸せも達成できないのだと考えたのだろう。子どもも親戚も決して捨てたのではなかったのだ。
74 やっぱり父は子どもたちにとって敬愛するヒーローであり、頼りになる「お父ちゃん」だったのだ。そう信じたい。父は堺の歌人与謝野晶子に因む与謝野鉄幹の作詞した「人を恋うる歌」が好きで酔えばよく唄ったが、父はその歌詞どおりの熱ある人生を歩んだのではないか(※妻をめとらば才たけてみめ美わしく情あり友をえらばば書を読みて六分の侠気四分の熱。以下十六番まで)。天国に行ったくらいでその熱は冷めること無く天上からエネルギーを送って来ているようだ。
75 と、ここまで考えたが、他に事実の材料が無いのでこれ以上筆は進まない。また、新しい事実が分かったときに考えよう。少しは父と母の供養になっただろうか。それはそうとして、光男は、息子の泰介、晃夫、壽之の行く末を案じまた期待していたはずだが、いま、息子たちはちゃんと父の期待に応えているだろうか。何れにしても、子は親を乗り越えて前に進んで行かねばならないのである。
南無阿弥陀仏。合掌。(終)